食べない食事
Photo by ah zut
お題。
「家に着くまでが遠足です」といえば「バナナはおやつに入りますか」と1・2を争う遠足にまつわる定番フレーズであり、気が利いているようなどうでもいいようなところが持ち味です。では、これと似た味をもつフレーズを考えてみてください。
答え。
◆「食べてないときも食事のうちです」
例えば食べることが好きな人がいて、食べることをより充実させるためにその時間までにはしっかりハラを減らしておくようにするとする。それに加えて何を食べようか考えたり想像したり料理をしたり、さらには食器や調理器具やダイニングのインテリア、はてには流通や農業にまで思いを馳せてみたとする。そういったことがみんな実際に食べるという体験に作用することを考えると、食べる前から食事はすでに始まっていると言ってもおかしくない。むしろ実際に食べている時間はそういったことぜんぶのうちのほんのいっときであるわけだから、「食べていないときこそ食事である」とさえ言ってしまえないこともない。まあ強引だけど。
◆「音のないところに音楽があるのです」
音楽というのはどんなふうに音を出すかがポイント、と捉えられがちだけれど、音を創ることというのは同時に、音と音の合間を創ることでもあって、そこが実は肝心なところでもある。
◆「考えていない時が考えているときです」
アイデアを見つけるプロセスはたいてい、関連する情報を集めて、ある期間集中して考えて、という段階の後に、考えることを止めてボーッとしたりのんびりしているときに水面下で実は進行していて、まったく思いもよらない時にひらめく、みたいなことが多い。
にしても、ほかにも建築は建物というより空間を造るといえるしグラフィックデザインは素材以上にホワイトスペース(余白)の配置であるといえるし旅は目的地ではなく過程だ。 どのケースにしても「AというものはAそのものに見えるけど、実は一見AではないものがほんとのAなのでしたー」のようなわけのわからないことになっている。記号をつかうことでさらにややこしくなっているかもしれないが、AをAにしているのはAではない何かで、それはぱっと見てわかるものではないけれど、そのAではない何かがあるからAは単なるAよりAなのである。
砂漠が美しいのはどこかに「井戸」をかくしているから。
あの地平線輝くのはどこかに「君」をかくしているから。
大切なものは目に見えない。
君のイド(エス)の底に流れる
大切なものには many meanin’ and I ・・・