コンピュータでアナログに遊んでみた
Photo by *n3wjack's world in pixels
マッチ棒を動かして何かを増やすパズル
コンピュータとかインターネットとかの情報技術の発達で、世の中がものすごく変わってきているかもしれない。と思う一方で、そういうふうにみんな言ってるけど、実はたいして変わってないんじゃない?、と思えることもあったりで、実際どうなのかよくわからない。
でも肝心なのはそこではなくて、シンプルに、この分野に目を凝らすと、なんかすごいことになっているんじゃないかという気になる。
ここで突然エクセサイズ。
手順1
電子はかりの上にマッチ棒24本を無造作にバラバラとのせてみると、重さは3gとなった。
手順2
次に、24本のマッチ棒を、次のアルファベットのように並べ替える。
WATCH OUT! (気をつけて)
当たり前だけど、重さは3gのままで変わらない。でも何かが増えた。
情報である。
よく、世界(宇宙)は空間と時間から成り立っているとか、質量とエネルギーから成り立っているとか言われたりするけど、そういった物理的なものさしではかることのできない構成要素があって、それが「情報」である、というのをクロード・シャノンという人が発見したそうな。
ところでこの文字(意味)は、どの器官で知覚されるのか。もちろん視覚である。でもそれだけではない。視覚に加えてまた別の器官が、マッチ棒の並びを文字として認識しているのだ。
では次に、これはどうだろうか。
手順3
さらに、24本のマッチ棒の重さが3g、であることから、
24 + 3 = 27
と計算してみる。
当たり前だけど、この計算に意味はない。でも何かが増えた。 これは何だろう。ちぐはぐさというか、(肯定的な)バカバカしさというか。 そしてそれを感じているのはどの器官だろう?
計算できるもの、できないもの
コンピュータは何をやっているかというと「計算」をやっているわけだけども、実は世の中のかなりのことは「計算」できてしまうようだ。
普通に計算っていうと、数学的なものとか、こうしたらああなるから、そしたらこうしようみたいな、作戦とか戦略みたいのを想像するのではないだろうか。もちろんそういうのも計算だし、他にも、すぐにはピンとこないけど、画像を表示したり動かしたり、音楽を演奏するのも全然計算なのだ。
じゃあ計算できないものってなんなんだろう?
ぱっと考えると、画像は表示できるけど、「どの」画像を表示するかを決めるのはできなさそうではある。命令ゼロで、どこから、どう探してとか。最近はそういうのを決めようっていうプログラムも(実用段階でなくても)あったりするらしいからわからないけど、やっぱり自ら構想して何かを生み出す(デタラメじゃなく)ってのはできないんじゃないだろうか。
あと先にあげた、バカバカしさとか、「新しい単位(世界単位認定協会)」に出てくるような「気前のよさ」とか「最終回っぽさ」なんかは、さすがに計算できないんじゃないかな(単位ついちゃってるけど)。
ただ見方によると、ここ20年ほどでコンピュータが爆発的に増えて、さらにはネットにどんどんつながってきているのは、コンピュータ自身が仲間を増やそうとして、人間を使って増やしているんじゃないか、なんていう話もあって、たしかに今や、人間はコンピュータなしではやっていけない(依存している)とも言えるし、そう考えると(意思を持っているとか…)コワくもある。
Watch out!なのである。