「守る」「逃げる」でサバイバル

Photo by Phil Snyder

近現代史の本を読んでいたところ、「守り」や「逃げ」で善戦している戦いがいくつかあって印象に残った。これは何だろう?勢力の弱い方に感情移入しているのだろうか。弱い方や負けそうな方を応援したくなる気分を「アンダードッグ効果」とか「判官びいき」とかいったりするけどそれなのか。それとも「攻めなさ加減」に共感しているのか。 ちなみにその戦いは以下の三つである。

遊撃戦

朱徳・毛沢東の遊撃戦。これはもう守りというか徹底的に「逃げ」の戦術だ。基本原則が「敵進我退(敵が進めば退き)、敵駐我攪(敵が駐まれば攪乱し)、敵疲我打(敵が疲れれば攻撃し)、敵退我追(敵が退けば追う)」という具合に簡単にわかりやすくまとめられていて、これを兵みんなに暗唱させて覚えさせ、全体で共有したという。

相手からしてみれば、敵の陣地と思った場所を占拠したと思っても、誰もいないし武器も食糧もなくなっている。そして自軍が進んだことによってのびた兵站を攻撃され補給がままならなくなったり、手薄な場所を狙った戦闘を散発的に起こされたりするのだ。これはやっかいだ。

当初は「積極さに欠けてけしからん」みたいな意見もあったようだけど、毛沢東はこの方法で、当時弱小の中国共産党軍でもって圧倒的優位にあった蒋介石の国民政府軍の包囲討伐を破り、最終的には逆に大陸から追放するまでになった。もっとも、国民政府軍と日本軍が消耗した後の漁夫の利という面も大きいが。

ちなみにその、日中戦争で日本軍が攻め入ってきた時も、国共合作でこの方法が用いられ、日本軍は「点と線」でしか進めず、戦いは泥沼化したのだった。

毛沢東はこうした機動力を重視し、住民を味方につけた戦術を遊撃戦論として理論化した。 建国後はろくなことをしなかった毛沢東だけど、それ以前はこうした優れた洞察力・行動力を発揮したのだ。

バトル・オブ・ブリテン

次に、バトル・オブ・ブリテン。第二次大戦前半、勢いにのるナチス・ドイツが英国上陸(アシカ作戦)に先立ち空軍で攻撃を開始した際、イギリスはこれをひたすら防衛する「守り」の戦いとなった。

英空軍の戦力は独空軍の約半分ほどだったが、本土上空だったことによる滞空時間等のアドバンテージがあった。独空軍はヨーロッパ大陸から飛んできてまた帰る必要があるため、たとえばロンドンであれば燃料の関係で15分ほどしか戦闘に割ける時間がなかったのだ。

加えてイギリスはレーダーの活用、チャーチルやダウディング大将の的確なリーダーシップなどもあり、3ヵ月の猛攻を守りきった。またこの奮闘でそれまで中立だったアメリカの支援を引き出すことができ、大戦の流れを大きく変えることにつながったのだ。

硫黄島の戦い

最後に、太平洋戦争の硫黄島の戦い。イーストウッドの映画「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」でも取り上げられているが、シーンを思い出すだけでも気が滅入るほど壮絶な戦いで、守る日本軍は一日でも長く本土への攻撃を遅らせる(守りきる、ではなく)ことを目的にした究極の持久戦だった。

栗林中将は従来の水際防衛のセオリーを捨てて、島の地下に坑道をはりめぐらせ潜伏し、敵を引きつけて迎え撃つという戦術をとった。
アメリカ軍が攻めて来るまでの間に、過酷な環境の中で、地下要塞化の大工事が突貫で行われた。これにより援護射撃が生かせなくなったアメリカ軍は、見えない敵に苦戦を強いられることになる。一見誰もいなさそうな岩山の島を進んでいくと、敵の姿は見えないのに突然どこからか弾丸やら何やらが飛んでくるのだ。

圧倒的な物量の差があり最終的にはやはり日本軍は全滅してしまうのだけど、アメリカ軍からしても予想をはるかに上回る戦力と時間の負担になった。

難しい局面で・・・

これらの戦いに興味をもったのは、最初に書いたように戦力の劣る方が善戦しているとか、「守り」や「逃げ」の戦術を効果的に取り入れているとかといったことの他に、どこか励まされる(といったら誤解を招くかもしれないけど)要素があるせいだと思う。

自分の力だけではどうしようもないような圧倒的な力と対峙したり、難しい局面におかれた時でも、守ったり逃げたり隠れたり助けを求めたりと、生き延びる方法、あるいは状況を少しでも「まし」にするための方法はいろいろあるんだなと。

それにしてもある程度つっこんで調べてみると、やっぱり戦争というのは重い。これほど過酷なことがフィクションではないのだ。人間はなんと因果な生きものかと感じさせられる。