異人の伝説:コミュニティとスケープゴート
百鬼夜行絵巻
「妖怪」には何かある、と思っていた。
妖怪にしても憑き物にしても物の怪にしても、単なる架空の世界の他愛のない絵空事ではなく、現実世界に密接につながっていた現象なんじゃないかと。
すると、思いのほかダイレクトに、そのへんのことをわかりやすく分析している本に出会った。「異人論」「悪霊論」(小松和彦著)だ。
異人殺しのフォークロア
たとえば、こんな伝説がある。
ある村で立て続けに、村びとが病気や事故で死んでしまう。困った村びとたちは、シャーマンに頼んで原因を探る。その結果としての託宣は、
「かつてこの村に訪れた六部(旅の僧)を、ある百姓が泊めてあげた。ところが六部が持っていた大金に目がくらんだ百姓は、六部を殺してしまった。その金で百姓の家は裕福になったが、六部の祟りでこの村に災いが起こるようになった。この六部の怨霊の供養をするように」
ということだった。
さて、このシャーマンの託宣は「創作」だという。
といっても、ただのその場の出鱈目や気まぐれではない。託宣は、村びとたちに受け入れられる(村びとたちが納得する)話でなければならないのだ。
そのために必要な条件=この話からわかることは、
・不思議な出来事、災難について、人びとは説明を求める。
・異人(村落共同体の外部の者)が殺される事件は、しばしば起こるものだった(それほど珍しいものではなかった)。
・人びとは異人に対して、潜在的に恐怖感・敵意を持っていた。
・はっきりとした理由がわからず急に裕福になった家を「悪者」にすることは、大勢の人に受け入れやすかった(妬みを癒す)。
ということである。
シャーマンが翻訳する集合的無意識
だから全く関係のない、過去の六部の死(実際には死んでいないかもしれない、存在してすらいなかったのかもしれない)と、裕福になった百姓が結び付けられてしまったりする。そうなるともちろん、その百姓は村から排除される。スケープゴートである。
(ちなみにスケープゴートにされやすい属性としては、急速に裕福になった家の他にも、乞食、非人などがあったという。コミュニティの中心ではなく周縁にいる人びと、ウチとソトの両義性を持つ人びとである)
そんな作り話をまことしやかに語るシャーマンももちろん恐ろしいが、それにも増して恐ろしいのが集合(ひとりひとりではなく、まとまり)としての村びとたちである。託宣は、村びとたちの心の奥底から生み出されたともいえるのだから。
また、当時は、都市化の波、貨幣経済の波で村落共同体が解体しつつあった。外部とつながっていて貨幣が入ってくるような家は、村落共同体を守るという意味でも排除の対象となったという。
なんにしても、スケープゴートにされてしまった家は本当に災難である。何もしていないのに、人殺し扱いされて村八分になるのだから。これほど理不尽なことってそうそうないんじゃなかろうか。
スケープゴートになってしまった後、災難を逃れて生き延びた人はどのくらいいたんだろうか。そしてそれはどのような方法だったのだろうか。