心の声に耳を澄ます
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次の文を読んで、以下の問に答えよ
タイタニック、恋におちたシェイクスピア、タイタニックからおちたシェイクスピア、アメリカン・ビューティー、ビューティフル・マインド、ビューティフル・ビューティー、シカゴ、ロード・オブ・ザ・リング、ミリオンダラー・ベイビー、ミリオンダラー・リング、シカゴで買ったミリオンダラー・リング。
タイタニックからおちたシェイクスピアが、シカゴで買ったミリオンダラー・リングをビューティフル・ビューティーに贈るアメリカン・マインド…。
- 問一:97年から04年までのアカデミー賞作品賞で入っていない作品は何でしょう。
- 問二:上の要領で80年からの作品賞をつなげて文章をつくりましょう。
まあ、なんのかんの言って観てしまいますアカデミー賞映画。 僕はそれほど映画に詳しくないこともあり、このへんが面白いと感じた時には自分の感覚が「マットウ」かなと思い、面白くなかった時には、自分にはまだわからないだけでほんとは面白い観方があるのだろうとなー思う謙虚な映画ウオッチャーだ(そうでもないけど前振りの都合上そういうことにしておくとして)。
いやだって映画でも本でも音楽でもそうだけど、数年置いて観た時にその面白さが初めてわかる、なんてことはよくあることだ。その時に面白くなくても、その自分の感覚より、アカデミー賞審査員の感覚の方を信じてしまう。 音楽でもグラミー賞とかナントカTOP10をけっこう聴いてしまう時、あるいはブランドの服を買ってしまう時、そういうのも似たような心理になりますね。
でもいつまでもそんなんじゃダメかなと思う自分もいる。いや、目安にするくらい全然いいですが。
もっと自分の感覚としてはどうよ、というところも大事にしないとな、と。 そうすることでセンスも養われることでしょう。
心の声に耳を澄ます
そのためには。
映画や音楽やそういうのを通して、自分が「どう感じてるか」というのを注意深くみる。
雑誌で評判のレストランとかもいいけど、自分の舌でよく吟味する。
マスコミにしろ他人にしろ、けっこう言ってることテキトーですから。マスコミの方はひどいときは利害からんでて、しょうもないもの持ち上げたりするし。
そういうのだけでなく、身の回りで起こる出来事を通して、自分が「どう感じたか」を観察する。それをもとに考える。ひとがしたこと、言ったことを通して。自分がしたこと、言ったことを通して。自分に都合のいいような解釈にならないように気をつけつつ。そうして、自分の価値観を養っていかんとなあと思います。自分にとって、何がほんとうで何がそうじゃないのか。何が「よいこと・もの」でなにがそうじゃないのか。 あ、シェアリングってやっぱ大事ですね。
感想を共有するっていうのもそうですが、自分の感じたことを言葉にする・表現するって時点ですでに。
引用いろいろ
これがどうならうと、あれがどうなろらうと、 そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういうことであらうと、それがどういうことであらうと、 そんなことはなほさらどうだっていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい! その余はすべてなるままだ・・・
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、 ただそれだけが人の行いを罪としない。
平気で、陽気で、藁束のようにしむみりと、 朝霧を煮釜に填(つ)めて、跳起きられればよい!
(中原中也 『盲目の秋 Ⅱ章』) ※自恃とは、自らをたのみとすること。
大事なのは、他人の頭で考えられた大きな事より、自分の頭で考えた小さな事だ。
(村上春樹 『スプートニクの恋人』)
自らを拠り所とせよ。それ以外を拠り所としてはならない。
(釈尊)
人々は物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。ノー。違うんです! 生きた世界ならば、どんな世界であってもまっとうな世界です。必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただ一つの道は、自分自身にとって生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きること。
(ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ 『神話の力』)
よいもの・ほんとうのものが自分の外側にあって、それに近づこうするのではなく、よいもの・ほんとうのものが自分の中に生まれ、それが育っていく感じ…。この二つのあり方は、大変異質なもの。
(野口三千三 『原初生命体としての人間』)
自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の百倍にもまさる。
(ショウペン・ハウエル 『読書について』)
…本当にお笑いをつくるってのはこういうことかって。見よう見真似でできるものじゃないんだなって思ったら、そうか、本当は自分の中から出さなきゃいけないのかって。…(略)最初はそれこそ、笑いの公式みたいなものをバーッと書き出してたりしたんですけど。それが、僕が「面白いと思っていることはなんだろう」…(略)に入れ替わった時期があったんですよ。
(小林賢太郎 『ラーメンズ つくるひと デコ』)
大事にしているのは、とにかく「自分が面白いと思えるものをつくる」ことです。こういう層にはこういう話がウケる、みたいなことを考えていたら絶対にダメですね。
(鈴木光司 『プロ論』より)
小説家は、小説の書き方を一人で見つけるしかない(「小説家」のかわりに「音楽家」「画家」「数学者」「建築家」を入れても、みんなあてはまる)。
(高橋源一郎 『一億三千人のための小説教室』)
・・・まあなどと引用ばかりして結局「他人の意見に頼るな」という他人の意見に頼っているわけですが。