ヴィレッジ:隠すことで現れるもの

森に囲まれた村

小さな村があって、それを大きな森が囲んでいる。
村には数十人の村人が住んでいる。そして森にも、何か“語らざるべきもの”が住んでいる。それは恐ろしい生きものだけど、村人がおびやかさなければ、彼らもまた村をおびやかすことはない。だから村と森との境界線を越えて森に足を踏み入れてはいけない、というのが村の掟となっている。森の向こうには町があるが、そこもまた邪悪な人々の住む邪悪な場所だという。

しかし、町には村にないものがある。例えば薬だ。薬がないために命を落とした少年がいる。そんなことが起こるのであれば、時には町に行って薬を持ってきたほうがいいのではないか、森の怪物だってこちらに悪意がなければ通してくれるのではないか、と森をそれほど怖れない一人の若者が言う。

ウチとソト。なじみのある内、未知でおそろしい外。
この村と森、あるいは町の関係は、多かれ少なかれいろんな身近なコミュニティにも見られる。それを当てはめながらこの作品を観てみると、いろいろ考えさせられる。なんで同じものでもウチのものは「良く」みえて、ソトのものは「悪く」みえるのかとか。森の怪物ってある役割を担っている、ある存在を守っているんだなとか。

秘密

それと、秘密や恐怖というものについて。

恐怖って、「未知」だから怖い、というのはわりと知られている。未知というのは、言い方を変えると、「隠されている」ということでもある。隠すということはまた、「秘密」ということでもある。

・ルシアスはアイヴィーに抱いている想いを「隠して」いた。
・村には「秘密」の黒い箱がある。鍵がかかっていて中を見ることはできない。アイヴィーが森の「秘密」を知ると、呼応するかのようにこの箱もまた開けられることになる。
・僕はこれを書きながら「ネタバレ」しないように、必要に応じて情報を「隠して」いる。その方がこの作品は「怖い」し、なにより「楽しめる」からだ。

ある部分を隠す・秘密にすると、それにつながる他のものや全体の意味合いが変わってくる。怖くなったり楽しくなったり重みがついたりする。考えようによっては、秘密という共通項を持った恐怖と楽しみは、正反対のようでいて実は似たもの同士だ。宙ぶらりん状態・謎(怖い)を経るから、着地・解決(安堵)ができるというのもある。

そうすると、ある意味、恐怖・不安の中に楽しみ・喜びがあって、楽しみ・喜びは恐怖・不安を内包しているのだろうか。

そのあたりのことは、知られざる人の心の秘密なのだろうか。