ウォールデン・森の生活の自由

Photo by Michael

人が一日に歩く距離のうち、実に9割が"道"で占められる。

というのは今、てきとーに予想してみた。あながち当たらずとも遠からずではないだろうか。 そんな、人にとって欠かすことのできない"道"。

道と一口に言っても色々ある。

街中の道、田舎道、けものみち、使い道、速見もこみち、

表通り、裏通り、文字通り、型通り、

街道、林道、歩道、武士道、

などなどとにかく色々ある。ではところで、道とはいったいどんな成分からなるのか。


道といえば、柵、塀、垣根、アスファルト、街路樹、信号、標識、そんなのが思い浮かぶが、そのどれもが道のようでいて結局のところ道ではない。人体で言うところの手足、樹でいうところの枝葉だ。上に挙げたどの道にも共通するもの(まぎれこんでいる変な道は無視するとして)、それは「空(から)」だ。体。であり根幹。つまり空(から)こそが本質だ。

同様に部屋を考えてみる。部屋にあるものって何か。床、天井、壁、机、椅子…ではやはりない。アマゾン奥地や砂漠の民、雪原の暮らしあるいは縄文時代、原始時代も考えたとき、そのどれもに共通するもの。それもやはり「空(から)」だ。道とは連続した「空っぽ」のことであり、部屋とは人やモノが入るための「空っぽ」である。


僕らは日々、アケル。胃袋を満たし、胃袋をアケル。玄関を閉め、玄関をアケル。時間を埋め、時間をアケル。心を塞ぎ、心をアケル。アケルことでゆとりができる。そして自由とは、ゆとりがあることである。


時間や心、についてはよく「現代社会はゆとりがない」なんてことが言われたりする。でもこのことについて実は19世紀から言っている人がいる。それがヘンリー・ソロー。「ウォールデン(森の生活)」の著者である。

この本が書かれたのは1850年代。浦賀に黒船が来たり、ナポレオンが皇帝になったような年代。その頃といったらインターネットは言うに及ばずテレビも飛行機も電話もない時代だ。そんな時代でも彼に言わせれば、人々は暮らしを複雑にすることから逃れられなかった。そこで彼は実験的に約2年間、町を離れ森に入って、暮らしに必須なもののためだけに働いた。そうすることで「最も大切な必要」である「人間を耕す」ための時間を空けた。元祖シンプル・ライフの人である。 自分にとって本当に意味があるものがやってくるための道を空け、それを迎えるための部屋を空けたのである。


「優れた絵を描き、彫像を彫る、創造の能力は良きものです。けれども、人間が生きて、描き、練り、暮らしを良くする芸術ほど、栄光ある芸術はないでしょう。日々の暮らしの質を高めることこそ、最高の芸術です。」

「人々は、真理が太陽系の彼方、もっとかけ離れた遠い星の陰、アダムの昔のさらに昔、あるいはまったく逆に、人が滅び去った後からやってくる、と思い込んでいます。永遠なるものには逆らいがたい不可思議が、確かにあります。けれども、その無限の時、場所、そして機会のすべては、今、私たちが生きる目の前にあり、目の前で起きています。」


しかしこの「ウォールデン」、分厚い。僕は今回、全部は読めなかった。いくつかの訳をくらべて一番読みやすいのに挑戦したんだけど。それでも実に面白かった。まあ、腰をすえてじっくり読むのか、ななめ読みしながら自分の興味のあるところを拾い読みするのかは


自由だあああー!!


分厚い本・イズ・フリーダーム♪ってことで。