つぶつぶストレンジ

Photo by Gluseppe Mllo

たまに長い時間歩いたりすると、いろんなヘンなことを思い出すことがある。

昔、つぶつぶオレンジっつう缶ジュースがあったなー。みたいなどうでもいいこと。ただそんなのを思い出すと、なんかノスタルジックな気分になる。
それとか、昔、ウゴウゴルーガっつうTV番組があったなーとか。ちなみに僕の中では「内容はよく知らないけどタイトルは知ってる番組TOP10」に見事ランクインしている。これも見事にどうでもいい情報。
ウゴウゴルーガというのはゴーゴーガールを逆から読んだわけだけど、つぶつぶオレンジがぶつぶつオレンジだったらもっと早く廃れていたに違いない。

それはさておき、つぶつぶオレンジをおいしく飲むには「よく振ってお飲みください」の指示に従ってよく振って飲むといい。そうすると、つぶつぶがジュースの中によく混ざっていいあんばいなのである。
ノスタルジックな気分って、昔の記憶が現在と混ざり合うみたいなことだ。人間の記憶はきっとつぶつぶオレンジのつぶつぶのようなもので、ほうっておくと記憶たちは次々と底の方に溜まっていくので、時々よくかき混ぜてやるのがいいのかもしれない。
そしてそれをかき混ぜる最良の方法というのが、

サンポ

なのではないか。実は。
以前、飲み会で終電をのがして3時間くらいかけて夜道を歩いて帰った時とかに、この「かき混ざり」を体験した。そして最近、普段は自転車を使って通勤していたのを、試しに歩いてみた(1時間くらい)ところ、確信した。

歩くと、かき混ざる。

ポール・オースターの小説で、さすらい歩くことの魅力を「どこでもない場所へ行けること」と表現したものがある。僕の強調したいのはそれとはまたちょっと違うようだけど(あるいは同じことなのかもしれないけど)、「かき混ぜ」なのです。 かき混ぜられる記憶はそして、自分(個体)のにとどまらず、祖先のものにまで及んでたりして。

「われわれの身体構造は、脳細胞から爪先まで、イバラのやぶや砂漠地帯を周期的に徒歩で移動する生活に合うように、自然淘汰されてでき上がったものなのだ。 もしそうなら…(略)…所有がわれわれを疲弊させるその理由を…(略)…容易に理解することができるだろう」 (ソングライン ブルース・チャトウィン著 めるくまーる)