意味のない物語

Photo by Dave Morris

「何かのため」と「そのもののため」

子どもの頃に、酒だとかコーヒーだとかわさびだとかを、まずいとわかっていながらちょいちょい試してみたりして、そんなことを繰り返しているうちにいつしかそれらの「良さ」がわかる時がたしかにやってきて、というようなのと同じ種類の期待をもって詩や小説を読んでいるように思います。特にポストモダン文学?ってなんなんだあれ。コンテンポラリーダンスや現代音楽同様に意味不明です。すぐに良さがわかるのもあるけど、大多数はそうでなくて、でもきっと今は理解できない何かがあるんだろうと思って読むわけです。
そうこうしているうちにある程度読み方のコツみたいなこともいくらかは身についてきて、それは大雑把に言うとこんな感じになったのでした。

  • 1:繰り返し読む。
  • 2:自分でも書いてみる。
  • 3:意味を求めない。

繰り返し読むというのはかなり王道っぽいです。ある短編小説を2度目に読んでみた時、あまりに新しく気が付くことの多さにびっくりしました。3度目でもまだまだ新しい興味をもって読めます。ほんとに面白いものであれば、時間を置いて4度、5度といくらでも楽しめます。詩なんてなおさらです。

自分で書いてみるというのもかなり有効な方法です。どうしてそういう表現になったのか、その展開なのか等が、単に読んでいるだけの時とは比較にならないほど見えてきます。詩については、読むというのはほとんど詩を書くこととセットなんだと思います。

と、ここまではわりと誰からも共感が得られそうなところなんですが、「意味を求めない」ということについては、そういう体質になるまでかなり時間がかかったような気がするし、先の二つの方法ほどにはオールマイティではないという曲者でもあります。それでもかなり大事なことというか、この意味を求めないという姿勢は文芸や芸術に限らず、ものごと全般に新しい見方をもたらせてくれるように思うのです。

・「『詩の目的は心理や道徳を歌うのではない。詩はただ詩のための表現である。』と言ったボオドレエルの言葉ほど、芸術の本質を徹底的に観破したものはない」 (青猫 萩原朔太郎著)

・「俳句は元来直感を反映する表象以外に、思想の表現ということをせぬのである」 (禅と日本文化 鈴木大拙著)

登場する人や物事・出来事が何かの象徴・比喩としての「意味」というのはあるかもしれませんが(それすらないこともありますが)、何か伝えたいメッセージや思想としての「意味」はない、ということだと思います。何かを直接説明しようとする文章と、詩や小説などの文章表現は、思った以上に違う種類のもののようです。

そして「何かのためでなくそのもののために」ということでいうと、何というか生きることそのものにも似ています。などと僕はよくいろんなことを「生きること」「人生」にも当てはめて考えてしまうタチであり、そんなタチが「意味を求めない」を受け入れるまでに時間がかかったともいえそうです。でも僕に限らず多くの人も、何か意味があるということに価値を置き過ぎるきらいがあるのではないでしょうか。

歌の旋律や料理の味に意味やメッセージはないけど、心地良かったりおいしかったりします。詩や小説が創り出すのは嘘や虚構であって誰かがカッテに考え出した世界でありながら、他人である読み手がそれを味わえたり、自分の中に同じ世界があることに気が付くことがあります。意味を求めず、大勢にわかってもらおうともせず、ただ自分の感覚に誠実に向き合うと、そこに自然と他の人にもつながる何かが現れるというのは十分あり得ることだと思います。

猫のペネトレの話。

・(人間はなんのために生きているのかと聞かれ、遊ぶため、と答えた後で)「「遊ぶ」っていうのはね、自分のしたいことをして「楽しむ」ことさ。そのときやっていることの中だけで完全に満ち足りている状態のことなんだよ。そのときやっていることの外にどんな目的も意味も求める必要がないような状態のことなんだ」
「勉強しているときも、仕事をしているときも、なにか目標のために努力しているときも、なぜかいつもそのこと自体が楽しい」こと。「なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりているってことなんだよ」
(子どものための哲学対話 永井均著)

まあただ究極的には、そこに意味やメッセージがあるとかないとかにかかわらず、面白いものが面白い、良いものが良いということになるとも思うのですが。詩(小説)とひとくくりにいっても、良し悪しの基準どころか、何が詩(小説)かがそもそもわからないですもん。あまりにバリエーションがありすぎて。そんなわけで、

  • 4:良いものが、良い。(基準を持たずに読む)

という、ふりだしに戻る的な状態でもあるわけです。