まにあわせシステム

Photo by Daniel Go

短編集 「象の消滅 (村上春樹著)」より、肌合いの似た(と、ぼくが感じる)三編の感想。

眠り

Living is easy with eyes closed
目を閉じたまま生きるのはたやすい
(Strawberry Fields Forever: The Beatles)

という歌の文句があるが、じゃあ目を開けたらどうなっちゃうの? みたいな話に感じた。

主婦の主人公は、単調な生活ながら大きな問題もなく順調に暮らしていたが、あるときから突然、まったく眠れなくなってしまう。眠れないといっても、不眠症のように日中朦朧とするわけでもなく、むしろ頭は冴え、肉体も若返るときている。今まで眠っていた時間も自由に使えるようになったため、アンナ・カレーニナのような長い小説を、繰り返し読むことだってできる。

そうして、どんどん、彼女の世界は大きく、深くなる。同時に、無意識の領域にあったものが意識の領域に含まれるようになってしまうのか、それまではあまり気がつかなかった、夫や息子に対しての距離を、「夫」「息子」というカッコでくくられた他者を感じてしまう。それとか、「死」は眠りの延長線上にあるのではなく、終わりのない覚醒だったりしたら……などと考えて、怖くなったりする。

今まで見えなかった、もしくは見ないことにしていた・見たくなかったものが、見えるようになってしまう世界。でもそうなったところでどこへも行けない、という感触。現実にはそういう側面があることを思い起こさせる。

TVピープル

奇妙なTVピープルが奇妙なやり方で奇妙なTVを持ってくる。
それにもまして奇妙なのは、主人公の奥さんも同僚も、TVピープルを「奇妙でないもの」として気にしないでいることだ。そのうち主人公は、周りではなく自分の方の縮尺が間違っているんじゃないかという気がしてくる。

擦り減る、という表現は「眠り」でも出てくるが、TVや時計の音に象徴されるなにかの力が、なにもかもを少しずつ擦り減らしていくのだろうか。
タルップ・ク・シャウス?

村上春樹はエルサレムのスピーチで、「卵と壁」の比喩を使って、壊れやすい殻に包まれた個人・魂(卵)と、強固なシステム(壁)の世界で、卵の側に立ちたい、といったことを語った。TVピープルはそのたとえでいう、壁の側、システムのゆがみから現れる存在に思える。 人間は生きていく上で様々な形・大きさの組織、制度、つまりはシステムを作り上げ、また作り続けている。ところが、人間のためであるシステムが、時には人間を損なうことも出てくる。それどころか下手をすると、システムのほうが人間を支配したり食い尽くすことにだってなりかねない。なにしろ、卵はもろく、壁はあまりに高く強固なのだ。それは、会議で意味がないけどしないとならない発言をし続けるような世界、発言をやめたとたんに石になって死んでしまうような世界かもしれない。
ゆがみはきっとTVピープルのように、はじめは「少しだけ」奇妙な形で現れるのだろう。

象の消滅

・象のような大きな動物が、跡形もなく消滅してしまう。そんなわけのわからない出来事を説明しようとするのは、大いに無理がある。

・キッチンに必要な要素は、なによりもまず統一性である。本当はそうでもないというのは知っているけど、便宜的にそういうことにしておいた方が、商品(キッチン用品)が売りやすくなる。
・便宜的というのは要は間に合わせのことだから、どうしたって多少の無理はあるのだ。

世界という、なんかこうぐにゃぐにゃごちゃごちゃした複雑怪奇なもの(混沌というかカオスというか)を理解しようとする試みは、いつだって多かれ少なかれ「間に合わせ」にしかすぎない。というのはあるけどそれにしても、かなり多くの人がその間に合わせをあたかも世界そのものと思い込んで生きている。だから便宜的に行動すればするほど、商売はうまくいくし、人々に受け入れてもらいやすくなる。 一方でぼくらは多分、間に合わせだけでは足りないとも思っている。あたりさわりのない話題や、あらかじめ決められたコードにのっとって書かれた記事の、その向こうにあるものに触れたいと。そうすることで、たとえ物事がスムーズに動かなくなることがあったとしても。そうじゃないと、いつかそんなことはどっちでもよくなってしまう、自分の中で何かのバランスが崩れてしまう。なにか大切なものが消滅してしまうことになりかねない。 そんな印象をもった。