やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視(ツカサネット新聞より)

*「嘘つきは誰?名探偵に学ぶデマやステマの見極め術」からの引用リンク元(ウェブ魚拓)が削除されていたため、引用転載です。

初出:2009年3月19日19時7分配信 Yahoo!ニュース(ツカサネット新聞)


やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視

全国で展開されている防犯パトロール(民間団体などによる通称「安全安心パトロール」)は、ニュースで報道されている聞こえのいい内容とは裏腹に、特定個人を尾行し監視するなど悪辣な法律逸脱行動に及んでおり、憲法違反を含む数々の重大な問題を含んでいる。

安全安心パトロールの根拠にしている「精神規範」は、通称生活安全条例である。これは、識者によると、1994年に警察法改正によって警察庁に生活安全局が設置されてから特に制定が促進されている国家的施策。

事実、資料によると当初は市町村レベルで制定が図られ、それに続いて都道府県段階に取り掛かって、2002年の大阪府を皮切りに、広島、滋賀、茨城と矢継ぎ早に制定され、昨年2008年の奈良を最終として、09年3月現在で47都道府県のうち制定未定・討議中・不明の4県(福島、長野、愛媛、佐賀)を除き、91%43都道府県がすでに制定を終えている。

この生活安全条例は、市町村でしらみつぶしのように数多く制定され、それに伴う民間防犯団体つまり「子供110番の家」「子供老人パトロール隊」などの組織化も警察主導で行なわれている。それのみならず、その団体員に対して県警警部補が「尾行の仕方」「ごまかし方」まで教えているありさまである。こういう実態をみると、まさしく警察の下部組織の育成であり、警察国家へのまい進を思わせる。

警察は、新宿通り魔事件など凶悪事件が勃発するたびに、時をおくことなく「犯罪者捕り物」のデモンストレーションを華々しく意図的に展開している。これは、その事件の記憶の生々しいうちに社会不安の精神の傷に乗じて防犯行為の必要性を浸透させる、という意図を持つものだろう。逆に見れば、ことさら社会不安を醸成しているるようにさえ見える。つまり、狼が来る来る、と。

しかし、統計では逆の結果が出ている。犯罪白書を読むと、2007年殺人認知件数は1199件と戦後最低を記録しているし、昭和と比べると半分以下、強姦に至っては3分の1に激減している。

また、2008年では殺人認知件数は1297件と上昇に転じたけれど、かといって1973年から1977年の昭和後半の2000台(1974年は1912件)に比べるとはるかに低いし、それ以降の昭和末の1800台から1400台までの減少した件数にも及ばない。

凶悪化の進行しているというイメージは、その件数の内実が85%以上親族知人友人という親和的人間関係で起こっているから、なおさらマスコミによるセンセーショナルな報道によって増幅させられている一面がある。だから、それなりの理由のないことではない。しかし、件数からみれば、急増とまではいえないのである。

そして、この減少傾向は別の統計、厚生省の人口動態調査から「他殺」を抜き出してみれば、なおさら明らかである。「他殺」は、1997年718人から翌1998年808人を小ピークに2003年705人まで漸減、2004年655人、2005年600人となり、2006年にはついに600人を割って580人にまで減少した。(それ以降は厚生労働省統計なし)。

防犯パトロールの第1の問題は、民間の警備員ですら「正当防衛」以上の権限を持ちえないのに、一般市民である人物が見える形で尾行や監視という行為をして、その対象個人へ”身辺への「圧力」”を感じさせることである。これは、端的にストーカー行為と同じである。それが、集団で行なわれている。

被害者らはこれを「集団ストーカー」と呼び習わしている。これは、どうみてもプライバシーの侵害であり、個人の文化的生活を保障した憲法への違反ではないか。

防犯パトロールの違法行為は尾行や監視にとどまらない。 たとえば、対象個人が生活に必要な物資を購入するために店舗に入ると、そこの店員に防犯パトロールの要員が警戒するように「密告」して歩く。そのまま信じた店員は対象人物をあたかも「万引き犯罪者」のごとくひそかに、あるいはあからさまに尾行して付いて来る。

そういう行為をされた個人の心象はいかばかりだろう。これは、プラバシーの侵害以上に、弾圧のである。防犯パトロールの問題性は、その団体の「警察の下部組織化」という現在の施策に、そもそも問題の芽を含んでいるのである。

なぜなら、防犯パトロールへの警戒対象人物への情報は、そもそも警察サイドからのもので検証されていない。それが恣意的だったら、どうだろう。政治的にであれ、現場の警察官の私的な感情にもとづくものであれ、そういう悪意の情報が紛れ込む余地は十分ある。

それに、防犯パトロールを担当する民間人とて、差別感や偏見と無縁ではいられない。その感情を利用する形で、個人情報が流され、警戒という尾行・監視あるいはスパイという行動が取られるとしたら、それはまさに「警察国家」である。

防犯パトロールを動員しての尾行・監視ばかりではない。 その活動に加えて、警察の生活安全課が地元のライフライン企業と「防犯協力覚え書」という形の協定書を取り付け回っている。宅配便や市役所、電話会社などもそうであり、たいてい子供パトロールとして登録されステッカーを配布している。また、さらに警察は、青色回転灯なる擬似赤色灯をその企業らに使用許可を出し、その登録数の増加を達成目標に掲げている。

たとえば病院。警察と病院の覚え書によって、警察は容易に病院という本来病気治癒という場所を監視の場所に変えてしまう。防犯パトロールの要員が、患者へのボランティアという偽装の形で病院に入り込むのみならず、病院職員自身たとえば看護師が入院病室の対象人物のそばで付きっきりで会話の立ち聞きをするのは日常茶飯事である。

日常的に展開されるこれらの人権侵害は、すでに「警察国家」の域に達している。一般市民の人権意識は低く、まさかという反応と対応を示す。しかし、じっさいやられていることなのだ。

戦前の状況の経験や知識のある人は、気づくに違いない。戦前の自警団・隣組に似ている、と。かつての市民は、異議を唱える自立心と勇気をもたなかった。それゆえ、関東大震災において他民族への殺戮が行なわれたし、鉱山労働の逃亡者へ鎌で追うようなこともした。今の防犯活動の状況は、まさしくこれを彷彿とさせるものである。

全体状況を見回してみれば、いくら防犯といっても、これはやりすぎだ、ということに尽きる。防犯パトロールはなかば小権力化しており、「お上」の威光をかさに来て振る舞っているようにみえるし、このボランティア活動に、ある特定の政治的団体が関与して容易に入り込み、権力化するという流れも疑われている。

宮城で問題となったように、もし情報非公開とされている報償費がこれらの防犯パトロールに使われているとしたら、それは経済的にもバックアップされることであり、児童虐待通知義務法も検討される昨今、市民は否が応にも「密告社会」に巻き込まれることになる。

(記者:森山つきた)